鍼灸の学校で必ず学ぶ「杉山 和一(すぎやま わいち)」
一般にはほとんど知られていないと思われます。鍼灸師でも聞き流している方も多いと思われるこの方。しかし今の日本の鍼灸に大きく貢献した方です。
・管鍼法を編み出した:中国針と違い、管の中に鍼を入れて思い通りの角度に鍼を痛み少なく打てる技法です。多くの日本の鍼灸師が使っている方法ですね。
・江戸に鍼の養成所を作った:杉山和一の鍼灸院は多くの人が治療をしてもらいに並んだそうです。将軍にも認められるようになり、学校も作りました。検校(けんぎょう)という官名を与えられ、「杉山検校」という名前で知られ、検校祭もゆかりの地で開かれています。
今の日本の鍼灸はこの人がいたからこそ、かもしれませんよ。この杉山和一のゆかりの地を駆け足で行ってみましょう。
津偕楽公園
三重県津市の駅前にある偕楽公園。

ここに「鍼聖杉山総検校頌徳碑」があります。
杉山和一は、諸説あったものの現在は三重県津市の生まれであるとされています。だから偕楽公園には彼をたたえた石碑が立てられているのですね。この石碑を囲っている柵の石柱は形が変わってます。
ちょこっと上に飛び出てる形。これは鍼と鍼管を表しているそうなのです!すごい!この「針塚」がペイントでいたずらされた過去がありそうなのが、またなんとも言えないです。
江島神社
津で生まれた杉山和一が色々あって弁天様の元で鍼の修行をしようと滞在していたのが、神奈川県の江ノ島にある江島神社です。

ここで修行で疲れ果てた杉山和一が倒れこんだときに手にした松葉からヒントを得て、管鍼法を思いついたと言われています。すごいイマジネーションです。
その後、江戸で大活躍をするわけですが、心はいつもここ江ノ島にあったようです。
江島神社の鳥居をくぐってすぐの瑞心門から石段を少し登った右側には福石があります。
これは杉山和一がつまづいて転んで管鍼法を思いついた場所。これでメキメキと技術と仕事運がアップしたということで福石となりました。
この福石からさらに海の方へ向かい右側へ降りると杉山和一のお墓があります。
墓前には鍼がお供えされています。訪れた鍼灸師が置いていくのですね。近藤もつい、銀鍼を置いて来ました。
江島杉山神社
東京都の墨田区に江島杉山神社があります。

ここは江戸に来て鍼灸師として活躍した杉山和一が、将軍の治療をすることで検校となり、土地をいただいて屋敷を建てた隣に弁財天を建立したものです。
敷地内には杉山和一記念館があり、中では鍼灸治療も受けられます。
この神社の横から岩屋に降りることができます。社務所で白いヘビをいただいて、この岩屋にいらっしゃる神様や杉山和一の像に置いてお参りします。ひんやりしていて神様に囲まれている感が強い場所です。
以上、簡単にですが、日本の鍼の開発者とも言える杉山検校のゆかりの地をご紹介してみました。近くに行かれた時、ちょっと足を伸ばして訪れてみるのも心が引き締まる思いがして良いのではないかと思います。